さて、今回の旅に出るきっかけとなった事を書いておこう。と思う。
なんだ?えらそーに・・・
準備中のことなんかもコミコミだ。
6月下旬、俺は湖のほとりのサイクリングロードを歩いていた。
運動不足の解消と、少し痩せなくてはと思ったのだ。
歩きながら考えた。
こんなちょっと歩いたくらいで痩せるわけがない。
そろそろ天気もいいし旅に出たいな、行くならやっぱ北海道だな。
ほとんど宿泊費かからないしな。・
・・なぜ?
でも、バイクはリアショックを盗まれたまま、車検も切れてしまっている。
ショックつけて車検を通してとなると結構お金がかかるな。
歩くか?いやー、北海道なんか歩いてたら、のたれ死んじゃうな。
トイレとか行きたくなっても急げないし。
・・・・・・・・・・・。
チャリがあるか。
そーだ、チャリで行こう!
バイク用のサイドバックはあるから、あれを何とかくっつけたら、専用のバックとか買わなくて済むし。
なるべく準備にお金はかけたくないからな。
荷台が無いから後ろのキャリアだけ買ってきたら何とかなるんじゃない?
幸いキャンプ道具一式はある。ご飯炊く道具が無いか?
ハンゴウだけ買えば、それ以外のモノは以前買って使われてないものがある。
そうしよう!
―と、安直に考えがまとまった。
でー、地図を見ていたらなんとなく屈斜路湖に惹かれた。
キャンプ場も温泉も何箇所かあるようだ。
目的地は屈斜路湖だ。
―と、これまた安直に目的地が決まった。
合宿みたいにこの辺にテントを張ったまま自転車で走り回るのもいいな。
盗難が心配?車にチャリとテント積んでいく?
運送費とか考えたらあほらしいな。
はっきり言って北海道まで自走する気は最初から無かった。
街でテントを張るのは怖いでしょ。
自転車どうやって運ぼうか?
近くに佐川急便の集配所があるから、あそこまで持っていったら運んでくれないかな?
とりあえず準備をしよう。
自転車の改造が先だ。荷物が積めなければどうしょうもない。
近くの量販店とDIYの店をうろうろする。
まず、リアキャリアを探す。スポーツ車のサドルポールにくっつけるだけのヤツは耐荷重が全然足りない。
まぁこのカタチじゃぁしょうがないよね。
ロングキャリアなるものを発見。やっぱ長いほうがいいよね。リア車軸の所までステーがあって荷重が受けられる。
普通のキャリアだ。・・・耐加重は?15kg?・・・ムムムム
でも、普通の自転車で二人乗りとかできるし、15kgってことはないんじゃない?
ぷらぷらしてたら近所の店の前で昔ながらの実用車発見!
お。コレは相当重いものでも積めそうだ。良く見ると各部が太いのはもちろんステーも一本多い。なるほど。
ステーを増やして補強すればいのだ。
ウチじゃ溶接も加工も出来ないな。いっかパイプで。
―で、リアキャリアがくっついた。
電燈も今ついている普通のやつじゃこぐのが重くなっちゃうし、そんなに明るくないからから電池式がいいな。
―で、電池式のライトがくっついた
サイクルメーターなるものを発見。コレはいるでしょう。
サイドバックがうまく載らないね。百均行ってネット買って載せるか。
―と、何日も量販店とDIYSHOPと百均をうろうろし、自転車用品、キャンプ用品、炊事道具などを買って、
自転車を改造?し、荷物を仮積みしてみたりしていたのだ。
更に不安が先走る俺は人の旅のホームページを見て、情報収集しつつ、なにやら独り言をつぶやくのだった。
ボスはまた口だけでどうせ行かないだろう。と思っていたらしい。
8月4日だったろうか?あることに気付きボスに問いかけた。
『ひょっとして来週からお盆休みじゃない!?』
『早い人は今週末からだよ。』とボス。
やばぁーいっ!!フェリーが取れなくなっちまう。
あせって電話して、なんとか八戸からの苫小牧行きを確保できた。
問題は、自転車だ。
佐川急便に問い合わせてみたら、梱包してあれば運んでくれるとの事。
・・・・梱包?ダンボールもらってくるか?
自電車を梱包ってどれくらいもらってくればいいのさ?
んで、梱包した自転車をどうやって運ぶ?
・・・・他はないかな?
・・・・調べると黒猫ヤマトが小さな引越し便で運んでくれるとのこと。
やっぱりこのままヤマト便で運んでもらうしかない。
電話するが、木曜日くらいにしか着かないよといわれてしまう。
俺は8日(月)出発して、9日(火)朝、苫小牧に着く。
最小限の荷物だけ持って2〜3日歩いて回るか?
どうしようか?こっちのキャンプ場なら歩いていけるか?などと地図を見ながら悩むが、
自転車を運ばないことにはしょうがないので、再度電話すると、今度は9日(火)朝には着きますよ。
ただフェリーの時間が合わなかったら、遅れる可能性はありますけど、火曜日中には着きますよ。との事。
なんだ、さっきの女の人とは全然違う話だな。
実際、集配している人なんだろうな。
案内の女性は確実な事しか言えないからな。早く着く分にはどうってことないけど、遅れたらクレームが来るからな。
まぁ、とにかくラッキーだ。
じゃ、持っていく荷物と運んでもらう荷物をまとめて、重さを量って待つ。
2万円以下で購入した自転車を2万円払って北海道に運ぶ。なにやら矛盾する気もするが、しょうがない。
さて、今回の旅はこの文からも分るとおり、結構思いつきで行ったのだ。でも準備にはむちゃくちゃ時間がかかっている。
しかも一番準備が必要なのは体力を付けることであって自転車の補強やキャンプ用品を買うことではなかったのだ。
そこで不安が生じるのだ。
モノに頼ろうとするから色んなモノを買う。だけどそれは根本的な解決じゃないから不安になる。
そしてまたより便利なものを求める。
―何か事を起こすのに必要なのは勇気とかじゃなくて、俺の場合は勢いだと思う。
そして5.6.7日は、『旅人の歌 Part2』のまま『なんとかなるさ!』とつぶやいていた。
実は『旅人の歌 Part2』は今回の旅に出る前に書いたものなのだ。
本当に『なんとかなるさ』と自分でつぶやいて、作った歌の通りになったよって笑っちゃた。
他の言葉として言ってたのが『死にゃしねぇだろ』と
『♪運が悪けりゃ、死ぬだけさ 死ぬだぁけぇさ ちゅーちゅちゅー♪』【俺たちは天使だ】のテーマソングね。
一見矛盾しているこの二つの言葉だが『死ぬ』ことを〜『だけ』と軽視した表現っつーのかな?がいいんだねぇ。
メロディもあるし、死ぬだけ?あぁそんだけのことかぁ。みたいなね。
さて、自分にとっての移動道具(乗り物)について考えたので、もちょっと読んで下さいな。
人は道具を手に入れると何処へでも行ける気になる。
例えば俺は自転車に乗り始めたら時、何処にでも行けると思った。
そして、多分ブラックエンジェルスという漫画の中に自転車で日本中を旅をする人がいたと思う。
多分主人公の雪藤さん。100km/hで走る車に自転車で追いつくというすごい自転車と脚力の人。
そーそー書いてて思い出した。その自転車のスポークが武器なんよ。
スポークで首の後ろやこめかみを刺して悪人退治をするのだ。
その影響か、いつか自分も自転車で日本中を旅してやろうと小さい頃思っていた。それはきっと小学生〜
中学生も後半になるとバイクだ。兄貴の影響でバイクに興味を持ち始めた俺は、
高校生になったらバイトして16歳になったら中免を取って高2の夏休みいっぱいかけて
日本一周とまでは行かなくても九州一周ぐらい回ってやるんだ。なんて考えてた。
―で、中学に入ったとき買ってもらった自転車はロードスポーツの12段変速だったが、
ドロップハンドルはダメという校則にひっかかってしまい、ハンドル交換を余儀なくされた。
高校に入学すると共に、バイクもバイトも禁止という校則があった。何なんでしょうね?
アホな校則があるもんだ。と思ったが、その頃には旅への憧れはなくなっていたのかなぁ。
中学生の時から読んでいた兄貴の『オートバイ』に『3ナイ運動』ってのが載っていたが
兄貴が普通にバイクに乗っていたので、この辺の学校は『3ナイ運動』はやっていないのだと思っていた。
田舎だしね。
性分なんでしょね。今メインにやってること意外、将来の夢や憧れをあまり持たない。
中学の時はほとんど部活。遊びといっても釣りくらい。
それだけしかやっていないって事じゃなく、今やっている事以外のことを考える。
例えば授業中にほかの事を考えるー好きな女の子の事とか。多分、出来なかったんだな。マルチタスクは。
高校の時は何やっていたろう?悪い子なのでバイトもしてました。高校時代の半分くらいやってましたね。
その他もろもろ。将来とかあこがれとかに対して努力はしなかったんだね。明確な目標も無かった。
あ。でも、ジュンちゃんみたいになりたいと思ってたかも。
『ジュンちゃん』とは誰だ?
それは『シャコタン・ブギ』の登場人物です。
車に詳しくて、整備工場を営んでいて、仲間がよく遊びに来る。なんか皆で楽しくっていいよね。
まぁこんな妄想があるくらいだから友達がいなかったんだろうな。
車やバイクがそんなに好きだったわけじゃない。
ガソリンスタンドでバイトしていて、手に技術を持ってる人が強いんだろう。
お金をもらえるんだろうと思っていた。
技術って何だ?って俺に思い浮かんだのは『整備士』だった。
丁度、学校の先生も『つらいのは今だけだぞ。今がんばれば徹夜でマージャンしても誰も文句言わないぞ。』って言ってたし。
この頃の世間知らずの俺にとって、『大学』って所は遊びに行く所って認識になった。
元に戻ると、初めて自分のバイクを持って、乗ったとき何処にでもいけると思ったかな?
免許を取って初めて乗ったのは、母親のスクーターだった。
あの時は多分(友達の家や遊びに行くのが)楽だなと思ったか?その当時仲良かった友達の家は10km以上離れていた。
そしてスピードが出ることが嬉しかったに違いない。
初めて自分のバイクとなったのはRG50Eという原付だったが、この時は『自分のもの』という所有できた喜びのほうが大きかったと思う。
バイト先のGSで社長にギヤチェンジのやり方のレクチャーを受けて、GS内を練習で走っていた。
それからすぐ中免を取った。バイクを買った。なぜ乗りたかったのだろう。スピードへの憧れだったろうか。
いつでも何処へでもいける手段としてのバイク。
多分、『いつでも行ける。』というのが欲しかったのだ。
ちょっとヘンな人だったのだろう。俺が俺を見るときはもちろんそうは思わないが。
高校生の時、家から学校までは10km弱あった。
確か、学校まで10km以上で最寄のバス停まで○km以上離れていていると原付での登校が許可されていたんじゃないかな。
そんな校則だったと思う。さらに部活とかで遅くなる人ってのがあったかな?
なので、俺は自転車通学だった。
朝から大雨や台風の日には親が車で送ってくれたが、(親も通勤で同じ方向に行く。)帰りは歩いて帰っていた。
なぜかバスってやつは嫌いなのだ。
待つから?違うな。酔うからだろう。小学校の遠足や中学校の修学旅行で気持ちが悪くなった覚えがある。
家までだったらそんなに長くは乗らないんだけどね。
中学の時一度だけ乗った覚えがあるな。
中免を取って、一ヶ月ほどですぐ実家まで1200kmを走った。
夏休みに入った一日目か二日目、9時か10時ごろまで寝てて、
今日何するかな?することないし帰るか。夕方からのほうが混んでないだろ。で荷物を積んで帰った。
割とお気楽だ。学生だったしな。地図さえ持ってなかったんじゃないか?
近くに高速の入り口の看板があるのは知っていたから、高速に乗りさえすれば、後は分かるだろ。みたいな。
『何処にでも行ける』果たして思ったかな?原付のとき思ったかも。でも、アテが無かった。目的が無かったんだな。
ここではないどこかを目指すことはなかった な。
時に目的は手段となることもあるが、言った先に目的が無ければ重い腰は上がらないのが現実なのか。
ここではないどこかを目指すことは、時に冒険だと思う。
目的は今いる場所から離れることであってそれ以上のものはない。
もし、今いる場所を離れられないでいるなら、それも目的になる。
自分から動かなければ新しい景色は見えては来ない。変わっていく景色は見られても。